Kaitoy’s blog

中の人は学生。主に政治ネタ、時事ネタ、歴史ネタなどジャンルを問わず自由に書いてます。政治的立場は保守自由主義、大衆主義、反共主義、反知性主義。最近は非マルキストの立場から共産主義を研究しています。皇室をいただく日本の伝統と文化を守りたい。日々が人格陶冶。

フェミニズムは「階級闘争」

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階級闘争、英語では“class conflict"だが、読者の方も一度は耳にしたことがあるかもしれない。 結論から言うと、「階級闘争」は社会主義共産主義思想の根底を成す概念である。カール・マルクスは「生産手段の私有が社会の基礎となっている資本主義社会では、必ず階級格差が生まれ、富める者がどんどん富んでいく」と考えた。そして、階級間で発生する社会的格差を克服するために行われる闘争である「階級闘争」を経て、社会主義革命が起こるとされた。

1848年にカール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスによって著された『共産党宣言』では、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」と規定され、「階級闘争こそが社会が発展・進歩するための唯一の原動力」と考えた。進化論は共産主義思想の根幹を成す。種の競走を社会が進化する過程に当てはめ、階級間の対立・分断を煽り闘争を促す。この闘争こそが、共産党が政権を獲得し生存するための「道具」であるため、共産主義者にとっては死ぬまで続く闘争である。

ソビエト社会主義共和国連邦は1991年に崩壊し、東西冷戦も終結。我々人類は共産主義に打ち勝ち、欣喜雀躍した。しかし、マルクスの亡霊は消え去ることなく、むしろ再び現代社会のあらゆる節々、とくに「文化面」においてその姿を現している。ソ連崩壊後、それまで「暴力革命」を掲げていたマルクス主義者は、経済理論で負け、資本主義に絶対的な行き詰まりがないことが世の中に露呈し、成すすべがなくなった。マルクス主義の実現を政治面・経済面において諦めた彼らは、代わりに破壊対象を「伝統」や「文化」に定めた。その典型的なものが「フェミニズム」である。現代のマルクス主義者は、男女間に階級闘争を持ち込み、男女間の分断を図っている。

フェミニズム

男性と女性の関係は肉体的にも、精神的にも、社会的にも「相互補完の関係」(お互いが補い合う関係性)であり、それぞれが「分業」することで社会が成立している。無論、男女間の性差は「生物学的要因」である。しかし、フェミニストは「男女間の違いは、文化的構造に起因する」と主張する。この理論からすると、男女間に生じる「不平等」は文化的および社会的背景の結果であり、それは抑圧で性差別だということだ。 社会的に高い地位に就く人は確かに男性が多いが、これは「性差別」に基づくものではない。女性は出産のために自身のキャリアを遮ることが多く、母親となることで家族や子どもたちとの時間を大事にする傾向がある。だが、フェミニストたちにとって、女性の家族と子どもを大切にする気質は、「性差別的な社会」「父系社会」から押し付けられた結果であると言う。さらに、不平等の根源は社会と伝統的な家族形態にあると見做し、それを非難する。

階級闘争を男女間に持ち込め

f:id:kaitoy_conservative:20201012224011j:plain (フリードリヒ・エンゲルス)

フェミニズムは、共産主義イデオロギーから派生した思想・運動である。マルクスエンゲルスは『家族・私有財産・国家の起源』の中で、「共産主義社会では、私有財産は公のものとなり、家事労働はプロに任せられる。子どもたちの教育は国が面倒を見るため、女性は子育てから解放される」と主張した。共産主義イデオロギーに端を発するフェミニズムはこの「解放のイデオロギー」を継承し、運動を拡大。女性の解放は最終的に「家族の解体」に帰結するが、共産主義者にとって家族の崩壊は重要な意味を持つ。家族は伝統的な文化や道徳、信仰を継承する重要な役割を持ち、安定した社会を維持するのに欠かせない。共産主義者は伝統文化を否定するが、家族の持つ役割を否定し、家族を解体することは彼らにとって伝統文化の継承を途絶えさせる狙いがある。さらに共産主義者は家族を「私有財産の形態」と考える。私有財産を認めない彼らにとって、私有財産を根絶するためには、家族も根絶しなければならない。つまり彼らの理想を実現する上で「家族」は邪魔な存在であり、フェミニズムに関連した運動には家族観を崩壊させる目的が根底にある。そして男女・夫婦間を分断させる手段として「階級闘争」を利用する。 前述したように、本来男女とは「相互補完の関係」である。にもかかわらず、マルクスによる階級闘争の名の下で男女を「闘争」させる恐ろしい思想および運動、それが「フェミニズム」「フェミニスト」の正体である。

フェミニストは女性を幸せにしたか

「女性の解放」「結婚制度の廃止」を掲げ、伝統的な家族形態を攻撃してきたフェミニストは、本当に女性を解放し、幸せにしたのだろうか。答えは「ノー」だ。そもそも男性は、女性と子どもを保護することで家族を養う義務を担うと同時に社会的な責任も負う。しかし、伝統的な家族形態を攻撃し、結婚そのものを否定した結果、男性は家族に対する義務を放棄し、女性は安息の場を失っていくこととなった。 アメリカでは1969年以前、離婚法は伝統的・宗教的な価値観に基づいており、夫婦のどちらかあるいは両方に何らかの過失がなければ、離婚は成立しなかった。しかし、60年代に伝統的な結婚が批判に晒され、結婚は「神聖なもの」ではなく単なる「契約」であると見做されるようになった。このようなフェミニズムの主張に煽られた風潮が、無過失離婚を合法化させた。結果、アメリカの離婚率は飛躍的に増加。離婚率の増加はやがて母子家庭増加を招く。弊害はそれだけではない。男性は姿をくらましたり、支払いを避けるなど、いとも簡単に妻子への責任を放棄するようになった。結局、女性は一向に「解放」されることなく、むしろ独りで子育てと仕事の両方を強いられるようになったのである。離婚は子どもにも深刻な影響を与える。父親のいない子どもは貧困に陥り犯罪に走るケースが5倍、刑務所に入る確率が20倍高いというデータもある。 このように「女性の解放」という耳障りの良いスローガンを掲げたフェミニストは、女性どころか子どもまでも不幸にした。だが当の本人たちはそのようなことにはお構いなしだ。なぜなら彼女たちにとって、女性は「家族の崩壊」という目的を達成するための「道具」に外ならないからだ。支持を得るためなら平気で虚言や欺瞞を比類なきほど上手く運用し、人々を騙すのが共産主義者の常套手段であり、遺伝子でもある。

フェミニズムが日本に浸透しない理由

日本では欧米で見られるようなフェミニズムに関連する運動は、あまり人々に受けていない。なぜなら日本は西洋とは異なり、歴史的に女性の地位もある程度は確保し(法的な権利以外において)、活躍の場を設けてきたからである。 平安時代には平仮名が編み出され、宮中で働く女官たちが好んで使っていた。平安京の女官たちは高い教養を持っていたことから、彼女たちは競い合うように平仮名を使用して様々な文学作品を生み出した。清少納言が書いた随筆『枕草子』、紫式部が書いた長編小説『源氏物語』などが代表作だ。現代にまで読まれている平安時代の文学作品は、そのほとんどが女性によって紡がれたのである。一方で世界を見渡せば、女性が書物を著わすのは近代になってからである。それ以前までの西洋社会では、女性は教養や知識を持つどころか、文字を読める人さえ稀であった。文化的先進国においても、日本ほど女性の地位が高い国は他にはなかったのである。 ほかにも、武士道の女性観がフェミニズムの浸透を防ぐ風土を醸成してきた。武士道では女性の価値を、「戦場」と「家庭」の二つにおいて測った。女性は前者においてはほとんど評価されなかったが、後者においては完全な評価だった。政治的存在として女性は高くはなかったが、「妻」および「母」としては最も高い尊敬と最も深い愛情を受けてきた。男が戦場に出て不在のときは、家事や子育てはすべて妻や母の手に委ねられた。子どもの教育、子どもを守る役割も彼女らに託されたのである。このような価値観のもとで暮らしていた女性は、「抑圧されていた」という意識からはほど遠かったため、近代以降、フェミニストによる「決起せよ」という呼びかけが全く響かなかったのかもしれない。 たしかに現代と比較すれば、女性の地位は虐げられていたかもしれないが、そもそも現代の価値観で過去を解釈し裁断する傲岸不遜な態度は、現代人の悪癖である。新渡戸稲造も『武士道』のなかで言ったように、武士道の影響が完全に消え去るまでは、欧米的なフェミニズムの見解を日本社会が納得することはない。

・性差は意図的に解消できない

私は「女性だからこうすべきだ」と指南する気は毛頭ない。女性の社会的・政治的地位もしっかりと保障されるべきである。とくに日本においては「八紘一宇」の精神の下、男女は平等に扱われるべきだ。だからこそ、性別によってではなく、個人の能力を基準にする方がよっぽど男女平等に寄与すると考えている。その人が能力・知見に足る人物なら性別など問わない。結局、適材適所で割り当てる方が男女間の軋轢も生まずに済むのである。男女は持ちつ持たれつの「相互補完的な関係」だ。しかし、その関係性のみならず、家族そのものを根底から破壊しようとするフェミニストの試みには真っ向から反対する。 男女の違いは「区別」であり「優劣」の話ではない。男女による分業も人類の歴史の中で継承されてきたものだ。しかし、「分業=資本主義の起源」と考えるマルクス主義者はこの男女の分業の破壊をも目論む。さらに生理的、心理的な性差を意図的に消去しようとする試みは、常識を混乱させ、男女とも潜在的な能力を十分発揮することができず、社会は崩壊するだろう。 今回のコラムで、「フェミニズムマルクス主義に基づく運動」であることがお分かり頂けたら幸いである。男女・夫婦間の「闘争」を促し、社会を分断せしめる手法は、資本家と労働者を闘争させ、革命を起こさせる手法と本質的には何も変わらないのだ。