Kaitoy’s blog

中の人は学生。主に政治ネタ、時事ネタ、歴史ネタなどジャンルを問わず自由に書いてます。政治的立場は保守自由主義、大衆主義、反共主義、反知性主義。最近は非マルキストの立場から共産主義を研究しています。皇室をいただく日本の伝統と文化を守りたい。日々が人格陶冶。

警鐘:共産主義への無知

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いよいよ2020年も師走。今年は中国発の新型コロナウイルスが世界を襲い、人類は未曾有の危機に晒された。そしてコロナ禍を機に、米中の対立がさらに激化し、中国の脅威が世界中に改めて認識された年でもあった。中国のような全体主義国家に立ち向かうには、先んじて私たち現代人がしっかりと共産主義について知ることから始めなければならない。しかし、依然として現代人の共産主義に対する認識はいささか甘いようにも感じられる。

共産主義の罪

「皆が平等」。そんなユートピア世界を目指す共産主義。だが現実はユートピアではなく、ディストピア。理想郷を築いた共産主義政権はいまだに存在しない。それどころか、共産主義政権による犠牲者は1億人にのぼる。ロシア革命によって政権を握ったレーニン率いるボリシェヴィキは、1922年にソ連という世界初の社会主義共産主義国家を樹立。ソ連コミンテルン(第三インターナショナル)という国際共産主義運動の指導組織を設立し、世界に「革命」の輸出を試みた。この対外工作によって世界中に共産党が創設され、東欧や東アジア地域などで共産主義国家が次々と誕生した。日本共産党も、もともとは「コミンテルン日本支部」として出発している。

f:id:kaitoy_conservative:20201210143254j:plain(ヨシフ・スターリン)

ソ連では、政治的・イデオロギー的に反対する者、あるいは体制に服従しない者は「反革命分子」「社会的異分子」「階級の敵」とみなされ、容赦なく皆殺しにされた。この思想は、その後に誕生した共産主義国家でも脈々と受け継がれた。フランスの歴史研究家ステファヌ・クルトワ氏によると、ソ連スターリンは2000万人を殺害したとされるが、この数は情報源によっては6000万人にまで変わるという。

f:id:kaitoy_conservative:20201210143409j:plain(毛沢東)

中国では、毛沢東が6000~8000万人を殺したとされる。これは、国民党との内戦、土地改革で殺害された地主、大躍進政策による失政がまねいた大飢饉、「知識階級」を一掃した文化大革命などにおける総計である。毛沢東死後の中国は懲りることはなく、1989年には天安門広場民主化を求めて集結していたデモ隊を戦車で無惨に蹂躙した。現在でもその中国は、国内の少数民族への弾圧をさらに強化し、パンデミックを意図的に世界中にばら撒くことで多くの命を奪っている。

f:id:kaitoy_conservative:20201210143432j:plain(ポル・ポト)

カンボジアでは、1975年、元フランス共産党メンバーで毛沢東主義を信奉するポル・ポト(本名サロット・サル)が共産主義革命を起こした。政権の座についたポルポトは、全面的な共産化政策を展開した。その政策は、農業主体の極端な平等社会を目指し、通貨を廃止するなど原始共産制の実現を強行しようとするものだった。ポルポトクメール・ルージュを動員するなどして、知識階級や反対派を容赦なく虐殺。1975~1979年までの4年間、政権の座についたポルポトは、国民の3分の1(100万~200万人)を虐殺したとされる。

これらの共産主義国家において、最大の武器であり味方となったのは「飢饉」であった。体制は飢餓という武器を「計画的に」使用することで、手持ちの食糧の在庫を全て管理し、極めて巧妙な配分方法によって、ある者には「褒美」として、他の者には「懲罰」として再配分した。そうすることで、体制に不忠実な者を打ち負かしたのである。ソ連では1932~1933年に、人為的な飢饉によって600万人がウクライナで皆殺しにされた。中国では毛沢東大躍進政策が失敗し、3000~4000万人が死亡した。カンボジアでは、あらゆる機器が「資本主義の産物」とみなされ、農業や重労働を手作業で行うよう強いられたため、大飢饉が起きた。 共産主義が犯した犯罪は、「人類に対する罪」だ。この思想が持つ嗜虐性は、筆舌に尽くしがたい。

冷戦を知らない世代

f:id:kaitoy_conservative:20201211141008j:plain (画像from https://socialistproject.ca/2019/06/why-is-there-now-socialism-in-the-united-states/)

1991年12月、ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊した。人類は共産主義に打ち勝ち、世界中が歓喜の渦に包まれた。ソ連支配下にあった東欧諸国はその圧政から解放され、自由、民主主義、法の支配といった人類の普遍的価値観が世界中に共有された。同時に、資本主義に絶対的な行き詰まりがないことも世界に露呈した。そのため、政治・経済理論で負けた共産主義のシンパやマルクス主義者は、マルクス主義の実現を経済分野で諦めた。しかし、彼らが次なる破壊対象として目をつけたのが、「文化」であった。彼らは自らが「マルクス主義者」であることを隠し、「リベラル」と名乗ることで偽装した。今や米国で「リベラル」とは、「社会主義者」「共産主義者」「マルクス主義者」「急進左派」を意味する用語として使われる。 冷戦後、そんな米国社会の油断の隙を突くように、マルクス主義者たちは教育やメディアに浸透することで、欧米社会の伝統や文化の破壊を試みた。したがって、米国における教育の左傾化は著しい。高等教育では、無神論、物質主義が徹底的に叩き込まれ、学生たちが社会主義共産主義イデオロギーを崇拝し、フェミニズムや過度な環境主義の影響を受けている。それを証拠に、共産主義の犠牲者記念財団が米国で行った調査(16歳以上のアメリカ人2100人を対象に)では、70%もの若者が「社会主義者に投票したい」と回答した。とくに、ミレニアル世代(1980年代~2000年代までに生まれた世代)やZ世代(1995年生まれ以降の世代)の間では社会主義共産主義を安易に支持する人が多い。社会主義者で有名なバーニー・サンダース氏の熱狂的な支持者もこの両世代に多い。米国史上最年少の女性下院議員である民主党のアレクサンダー・オカシオコルテス氏(AOC)は典型的なミレニアル世代であり、彼女の政策や主張は社会主義そのものである。また、今年の5月からBLM(Black Lives Matter)やAntifa(反ファシズムを謳う極左暴力集団)が米国各地で暴動を起こしているが、暴徒には街頭闘争に非常に熱心な若者が圧倒的に多い。BLMに関しては、建前上は人種差別反対を掲げるが、同団体の創設者自らが反資本主義、警察の解体、刑務所の撤廃、核家族の否定などを標榜するマルクス主義系の団体である。この運動の参加者や支持者にはやはり、ミレニアル世代やZ世代が多い。

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米国の若者が社会主義共産主義に賛意を示す理由はいくつかあげられる。まず、2008年のリーマンショック後の長期停滞が米国の格差問題を深刻化させた。若年層は資本主義の競争社会で勝ち抜くことに対して大きな不安を抱えており、社会主義共産主義の「理想」にシンパシーを感じやすい。二つ目の理由としては、学生ローンがあげられる。米国では私立大学の学費が1年間で約3万6900ドル(約410万円)とされ、州立大学でも高額だ。このため、多くの若者が学生ローンで学費を賄っているが、学費が高すぎるあまりにローン完済に40代までかかるという。そこでバーニー・サンダース氏は、4500万人分の学生ローンを帳消しにし、大学無償化を公約として掲げていた。しかもその財源は、富裕層に課税することで10年間で2.2兆ドルを賄うという。若年層の多くが学生ローンの返済に苦しんでいることから、こうした社会主義的な政策でも盲目的に彼らは支持する。 急速に社会主義共産主義へのシンパシーが米国社会で急増したのは、前述した経済格差や学費高騰もあるが、最大の原因は「共産主義がもたらした害悪への無知」だろう。サンダース氏などを支持するミレニアル世代やZ世代は冷戦を知らない。東西冷戦終結後に生まれた彼らには、社会主義共産主義への警戒感が薄く、共産主義政権が犯した罪について十分に学ぶ機会が与えられていない。なぜ彼らがそれほど社会主義共産主義に無知なのか。それは米国の教育界がマルクス主義者の巣窟と化したからである。当然、彼らが理想とするソ連や中国、北朝鮮カンボジアなどの共産国が犯した数々の悪事は教えられない。その代わりに学生たちが学ばされるのは、フェミニズムジェンダースタディーズ、カルチュラル・スタディーズなど、マルクス主義的要素がぎっしり詰め込まれた学問である。これらの教科は一見すると共産主義イデオロギーとは無縁のように思える。しかし実態は、階級闘争や伝統文化に対する批判であり、「再教育」に過ぎない。言葉や造語を狡猾に駆使し、共産主義思想と理解できないようにあえて「無色透明化」することで人々を騙す。結果、赤い思想が潜在意識下に刷り込まれていくのだ。米国の大学では、4年間はリベラルアーツ(教養学部)が中心で、本格的な専門教育は大学院となるが、いまやこのリベラルアーツの部分は、マルクス主義を信奉、標榜する左翼教授たちに支配されているような状況だ。このような左傾化した学校教育で「再教育」された若者が、社会主義共産主義に警戒がないのも頷ける。

・束の間の安堵

f:id:kaitoy_conservative:20201211145006j:plain (ベルリンの壁崩壊)

ソ連が崩壊したことで、世界から「廃れた」とみなされた社会主義共産主義。それは束の間の安堵に過ぎなかった。今度は中国がソ連に代わって台頭し、力によって現行秩序を破壊し、人類の普遍的価値観までも脅かしている。そして、世界各地のマルクス主義者はその思想を放棄するばかりか、自らを「リベラル」と名乗ることで共産主義者であることをひた隠しにし、世界中で教育界やマスコミに浸透した。教育の現場では共産主義の犯罪はきちんと教えられることはなく、マスコミも中共によって行われてきた悪行を報道しない。しかし少なくとも、米中の冷戦は共産主義の脅威を再び私たちに啓蒙するには良い機会だと思う。

2020年は、中国、BLM、Antifaなど、共産主義者による組織的犯罪行為が表面化した年でもあった。現在進行形で新型コロナウイルスによって命を奪われている人々も、まぎれもなく共産主義の犠牲者であることを忘れてはいけない。そして、その共産主義に勇猛果敢に立ち向かってきたのが、トランプ大統領なのだ。

最後にレーガン元大統領の言葉を引用したい。

"How do you tell a commminist? Well, it's someone who reads Marx and Lenin. And how do you tell an anti-communist? It's someone who understands Marx and Lenin."

武士道の再興

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「武士道」ーーそれは武士がその職業や日常生活において守るべき道だ。ひとことで言えば、武士階級における「ノブレス・オブリージュ(高貴な身分に伴う義務)」のことである。武士は高い身分・地位に置かれたが、その高い身分が故に、民衆に人として守るべき道徳的基準を示し、模範となって導いた。

武士道はなにも武士階級だけに共有された規範や倫理ではない。それは、時が経つにつれて大衆に道徳的基準を提供し、やがては日本人の拠って立つ道徳観・倫理観、そして日本人の国民性の醸成に大きく寄与した。日本人の精神的支柱となった武士道は、極東の島国である日本で、「大和魂」となって開国以降の動乱期を乗り切るための「推進力」になった。 だが、戦後はその武士道も廃れ、今では日本人の魂から武士道の矜恃は忘れ去られた。三島由紀夫がかつて警鐘したように、日本は「からっぽの極東の一経済大国」に“成り下がった“のである。

そんな武士道の精神を蔑ろにした日本人がいま直面しているのは、「利己主義の蔓延」ではないのか。

武士道は「公に奉ずる精神」を説いている。要するに、私心ではなく「公」のために誠意を持って行動する精神だ。「公」という概念は、日本人の心に備わった美徳である。しかし、武士道の精神が抜け落ちた現代人の間には、他人の気持ちを推し量らず、私利私欲にかられた利己主義が蔓延している。これは学校における「いじめ」の横行が良い例だ。生徒のみならず先生ですらも、「自分に害がなければそれでいい」と見て見ぬ振りをする。誰も「弱きを助け強きを挫く」という義侠心を持たず、ひたすら事なかれ主義を貫こうとするが故に、いじめによる自殺を未然に防げない。学校では知識を身につけることばかりに力が注がれ、「心の学問」は軽視されている。心の学問をなおざりにして、自分の心を磨くことを怠るような学校教育で育つ人間は、必ずや品性の面で問題が生じる。

一方で、経済界においても利己主義が跋扈している。自分だけが儲かれば良いという利己主義者や拝金主義者の心には、武士道が教える「正義」「廉直」「義侠」などは微塵たりともない。それを証拠に、日本の財界人はウイグルチベット内モンゴルにおける少数民族に対して激しい人権弾圧を行う中国に手を貸している。数多くの名だたる日本企業が、ウイグルにおける強制労働に間接的に加担しているとも報告されている。一党独裁体制の中国の経済成長に手を貸してきた財界人だが、結局それは日本の安全保障を脅かすほどの軍事大国化を許したばかりか、中国国内の監視・統制をさらに強化させた。これも基本的な道徳と倫理を無視し、利潤追求に猛進した結果だ。 本来、経済活動と道徳は調和しなければならない。自分さえ豊かになれば満足だとして、国家や社会を眼中に置かないというのは嘆かわしいことだ。もちろん、企業家には利益を稼ぐ権利があるが、同時に、その利益の一部を労働者、社会、そして国家のために還元する義務もある。しかし、道理を伴って築かれた富や名声でないのなら、それは本当の意味で成功とは言わないのではないのだろうか。経済界を中心に、穢れた利己主義と拝金主義に腐心する傾向が強まったのは、おそらく、世間一般から人格を磨く習慣が失われてしまったからだろう。現代の資本主義社会に生きる私たちに求められることは、拝金主義を戒め、武士道の精神を基本とした「士魂商才」に回帰することだ。

f:id:kaitoy_conservative:20201117001315j:plain (新渡戸稲造)

物質文明の恩恵を享受してきた現代人だが、それは精神と道徳の進歩を阻害した。精神的支柱を失った現代人は、さまよい、懊悩としているようにも見える。しかし元来、日本人が頼りとしてきた道徳の規範の一つは、やはり武士道である。武士道は、同情する心や気持ち、礼儀やケジメなど、人として踏むべき道と道徳を私たちに教えてくれる。日本人がもう一度、武士道の精神を取り戻すことができれば、社会のことを考えることが大きな流れとなり、自己の利益だけを追求しようとする風潮は無くなるだろう。私自身も、自分勝手に生きてきたが、新渡戸稲造先生の『武士道』に触れることによってその愚かさにようやく気付かされた。それ以降は、人格陶冶(とうや)の日々を送っている。今は世のため、人のため、そして日本という国のために身を粉にして生きていきたい。

今、武士道の再興が求めれている。

現代語訳 武士道 (ちくま新書)

現代語訳 武士道 (ちくま新書)

フェミニズムは「階級闘争」

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階級闘争、英語では“class conflict"だが、読者の方も一度は耳にしたことがあるかもしれない。 結論から言うと、「階級闘争」は社会主義共産主義思想の根底を成す概念である。カール・マルクスは「生産手段の私有が社会の基礎となっている資本主義社会では、必ず階級格差が生まれ、富める者がどんどん富んでいく」と考えた。そして、階級間で発生する社会的格差を克服するために行われる闘争である「階級闘争」を経て、社会主義革命が起こるとされた。

1848年にカール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスによって著された『共産党宣言』では、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」と規定され、「階級闘争こそが社会が発展・進歩するための唯一の原動力」と考えた。進化論は共産主義思想の根幹を成す。種の競走を社会が進化する過程に当てはめ、階級間の対立・分断を煽り闘争を促す。この闘争こそが、共産党が政権を獲得し生存するための「道具」であるため、共産主義者にとっては死ぬまで続く闘争である。

ソビエト社会主義共和国連邦は1991年に崩壊し、東西冷戦も終結。我々人類は共産主義に打ち勝ち、欣喜雀躍した。しかし、マルクスの亡霊は消え去ることなく、むしろ再び現代社会のあらゆる節々、とくに「文化面」においてその姿を現している。ソ連崩壊後、それまで「暴力革命」を掲げていたマルクス主義者は、経済理論で負け、資本主義に絶対的な行き詰まりがないことが世の中に露呈し、成すすべがなくなった。マルクス主義の実現を政治面・経済面において諦めた彼らは、代わりに破壊対象を「伝統」や「文化」に定めた。その典型的なものが「フェミニズム」である。現代のマルクス主義者は、男女間に階級闘争を持ち込み、男女間の分断を図っている。

フェミニズム

男性と女性の関係は肉体的にも、精神的にも、社会的にも「相互補完の関係」(お互いが補い合う関係性)であり、それぞれが「分業」することで社会が成立している。無論、男女間の性差は「生物学的要因」である。しかし、フェミニストは「男女間の違いは、文化的構造に起因する」と主張する。この理論からすると、男女間に生じる「不平等」は文化的および社会的背景の結果であり、それは抑圧で性差別だということだ。 社会的に高い地位に就く人は確かに男性が多いが、これは「性差別」に基づくものではない。女性は出産のために自身のキャリアを遮ることが多く、母親となることで家族や子どもたちとの時間を大事にする傾向がある。だが、フェミニストたちにとって、女性の家族と子どもを大切にする気質は、「性差別的な社会」「父系社会」から押し付けられた結果であると言う。さらに、不平等の根源は社会と伝統的な家族形態にあると見做し、それを非難する。

階級闘争を男女間に持ち込め

f:id:kaitoy_conservative:20201012224011j:plain (フリードリヒ・エンゲルス)

フェミニズムは、共産主義イデオロギーから派生した思想・運動である。マルクスエンゲルスは『家族・私有財産・国家の起源』の中で、「共産主義社会では、私有財産は公のものとなり、家事労働はプロに任せられる。子どもたちの教育は国が面倒を見るため、女性は子育てから解放される」と主張した。共産主義イデオロギーに端を発するフェミニズムはこの「解放のイデオロギー」を継承し、運動を拡大。女性の解放は最終的に「家族の解体」に帰結するが、共産主義者にとって家族の崩壊は重要な意味を持つ。家族は伝統的な文化や道徳、信仰を継承する重要な役割を持ち、安定した社会を維持するのに欠かせない。共産主義者は伝統文化を否定するが、家族の持つ役割を否定し、家族を解体することは彼らにとって伝統文化の継承を途絶えさせる狙いがある。さらに共産主義者は家族を「私有財産の形態」と考える。私有財産を認めない彼らにとって、私有財産を根絶するためには、家族も根絶しなければならない。つまり彼らの理想を実現する上で「家族」は邪魔な存在であり、フェミニズムに関連した運動には家族観を崩壊させる目的が根底にある。そして男女・夫婦間を分断させる手段として「階級闘争」を利用する。 前述したように、本来男女とは「相互補完の関係」である。にもかかわらず、マルクスによる階級闘争の名の下で男女を「闘争」させる恐ろしい思想および運動、それが「フェミニズム」「フェミニスト」の正体である。

フェミニストは女性を幸せにしたか

「女性の解放」「結婚制度の廃止」を掲げ、伝統的な家族形態を攻撃してきたフェミニストは、本当に女性を解放し、幸せにしたのだろうか。答えは「ノー」だ。そもそも男性は、女性と子どもを保護することで家族を養う義務を担うと同時に社会的な責任も負う。しかし、伝統的な家族形態を攻撃し、結婚そのものを否定した結果、男性は家族に対する義務を放棄し、女性は安息の場を失っていくこととなった。 アメリカでは1969年以前、離婚法は伝統的・宗教的な価値観に基づいており、夫婦のどちらかあるいは両方に何らかの過失がなければ、離婚は成立しなかった。しかし、60年代に伝統的な結婚が批判に晒され、結婚は「神聖なもの」ではなく単なる「契約」であると見做されるようになった。このようなフェミニズムの主張に煽られた風潮が、無過失離婚を合法化させた。結果、アメリカの離婚率は飛躍的に増加。離婚率の増加はやがて母子家庭増加を招く。弊害はそれだけではない。男性は姿をくらましたり、支払いを避けるなど、いとも簡単に妻子への責任を放棄するようになった。結局、女性は一向に「解放」されることなく、むしろ独りで子育てと仕事の両方を強いられるようになったのである。離婚は子どもにも深刻な影響を与える。父親のいない子どもは貧困に陥り犯罪に走るケースが5倍、刑務所に入る確率が20倍高いというデータもある。 このように「女性の解放」という耳障りの良いスローガンを掲げたフェミニストは、女性どころか子どもまでも不幸にした。だが当の本人たちはそのようなことにはお構いなしだ。なぜなら彼女たちにとって、女性は「家族の崩壊」という目的を達成するための「道具」に外ならないからだ。支持を得るためなら平気で虚言や欺瞞を比類なきほど上手く運用し、人々を騙すのが共産主義者の常套手段であり、遺伝子でもある。

フェミニズムが日本に浸透しない理由

日本では欧米で見られるようなフェミニズムに関連する運動は、あまり人々に受けていない。なぜなら日本は西洋とは異なり、歴史的に女性の地位もある程度は確保し(法的な権利以外において)、活躍の場を設けてきたからである。 平安時代には平仮名が編み出され、宮中で働く女官たちが好んで使っていた。平安京の女官たちは高い教養を持っていたことから、彼女たちは競い合うように平仮名を使用して様々な文学作品を生み出した。清少納言が書いた随筆『枕草子』、紫式部が書いた長編小説『源氏物語』などが代表作だ。現代にまで読まれている平安時代の文学作品は、そのほとんどが女性によって紡がれたのである。一方で世界を見渡せば、女性が書物を著わすのは近代になってからである。それ以前までの西洋社会では、女性は教養や知識を持つどころか、文字を読める人さえ稀であった。文化的先進国においても、日本ほど女性の地位が高い国は他にはなかったのである。 ほかにも、武士道の女性観がフェミニズムの浸透を防ぐ風土を醸成してきた。武士道では女性の価値を、「戦場」と「家庭」の二つにおいて測った。女性は前者においてはほとんど評価されなかったが、後者においては完全な評価だった。政治的存在として女性は高くはなかったが、「妻」および「母」としては最も高い尊敬と最も深い愛情を受けてきた。男が戦場に出て不在のときは、家事や子育てはすべて妻や母の手に委ねられた。子どもの教育、子どもを守る役割も彼女らに託されたのである。このような価値観のもとで暮らしていた女性は、「抑圧されていた」という意識からはほど遠かったため、近代以降、フェミニストによる「決起せよ」という呼びかけが全く響かなかったのかもしれない。 たしかに現代と比較すれば、女性の地位は虐げられていたかもしれないが、そもそも現代の価値観で過去を解釈し裁断する傲岸不遜な態度は、現代人の悪癖である。新渡戸稲造も『武士道』のなかで言ったように、武士道の影響が完全に消え去るまでは、欧米的なフェミニズムの見解を日本社会が納得することはない。

・性差は意図的に解消できない

私は「女性だからこうすべきだ」と指南する気は毛頭ない。女性の社会的・政治的地位もしっかりと保障されるべきである。とくに日本においては「八紘一宇」の精神の下、男女は平等に扱われるべきだ。だからこそ、性別によってではなく、個人の能力を基準にする方がよっぽど男女平等に寄与すると考えている。その人が能力・知見に足る人物なら性別など問わない。結局、適材適所で割り当てる方が男女間の軋轢も生まずに済むのである。男女は持ちつ持たれつの「相互補完的な関係」だ。しかし、その関係性のみならず、家族そのものを根底から破壊しようとするフェミニストの試みには真っ向から反対する。 男女の違いは「区別」であり「優劣」の話ではない。男女による分業も人類の歴史の中で継承されてきたものだ。しかし、「分業=資本主義の起源」と考えるマルクス主義者はこの男女の分業の破壊をも目論む。さらに生理的、心理的な性差を意図的に消去しようとする試みは、常識を混乱させ、男女とも潜在的な能力を十分発揮することができず、社会は崩壊するだろう。 今回のコラムで、「フェミニズムマルクス主義に基づく運動」であることがお分かり頂けたら幸いである。男女・夫婦間の「闘争」を促し、社会を分断せしめる手法は、資本家と労働者を闘争させ、革命を起こさせる手法と本質的には何も変わらないのだ。

現代版ホロコースト、「ウイグル人弾圧」の実態

かつてナチス・ドイツユダヤ人を根絶やしにしようと、多くのユダヤ人を強制収容所に送り込み大量虐殺を行った。ホロコーストによる犠牲者数は正確な資料が存在しないことから諸説があるものの、推定で約580万人とされている。

人類の記憶にはまだ新しいホロコーストだが、我々が今日生きる21世紀に同様のことが、中国共産党によって新疆ウイグル自治区内で行われていることはご存知だろうか。中国国内にはイスラームを信仰するウイグル人のほかにも、チベット人、モンゴル人、満州族回族などの少数民族がいる。その多くが中国共産党により不当な人権弾圧を受けているが、テクノロジーが目まぐるしく進歩するにつれてその度合いは年々増している。今回はウイグル人のあまりに凄惨な実態を共有したいと思う。

新疆ウイグル自治区という場所

f:id:kaitoy_conservative:20200831160059j:plain 東トルキスタン国旗)

新疆ウイグル自治区はもともとは東トルキスタンだが、それはどういう場所か。結論を先に述べると、中共が侵略し奪い取った地域であり、中国の領土ではない。1930年代、「新疆省」では当時「迪化」(てきか)と漢語で命名されていた省都ウルムチに君臨する、金樹仁という漢人主席による苛斂誅求ウイグル人の不満が爆発し、各地で反乱が頻発していた。東トルキスタン南部に位置するシルクロードのオアシス都市であるホタンでは、イスラーム神学校の導師であったムハンマド・イミン・ボグラが武装蜂起に成功し、「ホタン・イスラーム国」の樹立を宣言。その後は東トルキスタン西部のカシュガルを急襲し、1933年11月、ウイグル人カシュガルで(第一次)東トルキスタンイスラーム共和国の独立を宣言した。しかし、ソ連の間接的な支援を受けた中華民国軍閥の侵略により数ヶ月で瓦解する。 その後、日本の敗戦が濃厚になりつつあった1944年、ソ連と国境を接する東トルキスタン北部のクルジャにウイグル人国家の再独立を目指す「クルジャ解放組織」が結成された。この組織は「反漢排漢」をスローガンに掲げていた。同年11月12月に、東トルキスタン共和国の独立を宣言(第二次東トルキスタン共和国)する。つまり、新疆ウイグル自治区として中国の領土に編入されている場所は、「東トルキスタン」と称する歴とした国家があったのである。 しかし国共内戦に勝利した中国共産党が1949年に「中華人民共和国」を建国すると、同年10月に人民解放軍の戦車隊がウルムチに入城し、実効支配下に置いた。その後の度重なるウイグル人独立運動に手を焼いた中共は、1954年に「新疆生産建設兵団」と称した漢人部隊を大量入植させる政策を発動させた。新疆生産建設兵団は平時には経済活動に勤しみ、有事(独立運動など)には武装して鎮圧部隊に豹変する予備役の大集団である。兵団員はそのまま東トルキスタンに定着する者が多く、次々に漢人の労働者も雪崩れ込んだ。この人為的ともいえる大量入植政策の結果、東トルキスタンの人口構成は、1949年時点でウイグル人の比率が80%近くを占め、漢人比率は僅か7%未満だったのが、2000年にはウイグル人の比率が約45%まで低下し、漢人比率が約40%近くまで跳ね上がった。現在も不法占拠の状態は続いるが、中共支配下に置かれたウイグル人の窮状を慮ると胸が張り裂けそうである。

強制収容所と監視

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現在、新疆ウイグル自治区には複数の強制収容所が建設され、少なくとも100万人が収容されているとされる。しかし2018年5月、ランドール・シュライバー米国防次官補は「おそらく300万人の市民が強制収容所に拘留されている」と述べている。中国当局はキャンプの存在を否定していたが、2017年にジャーナリスト、学者などが衛星写真や目撃証言をもとに秘密施設の存在を指摘すると、当局も「職業訓練センター」として存在を認めざるを得なくなった。だがその実態は決して当局が主張するような「職業訓練センター」などではなく、民族浄化を目的とした明確な「グラーク」である。 キャンプに強制収容されたウイグル人たちは、中国に忠誠を誓うよう中国の国歌斉唱を強要され、イスラム教への信仰や信条を捨てさせるよう「思想改革」や「人格改造」が行われている。食事に関しては、イスラム教徒は豚肉を口にすることは禁じられているが、豚とアルコールの摂取を強要している。また強制収容所に限らず、新疆ウイグル自治区内には監視カメラや顔認証技術・システムを駆使した高度な監視体制が張り巡らされており、自治区内は徹底した監視社会実現のための「実験場」とされている。今ではウイグル人の自宅にまで監視カメラが設置されるなど、自宅までもが「収容所化」している。監視カメラには日本企業の技術や部品が使用されており、米商務省がウイグル人への人権弾圧に加担したとして制裁リストに指定したセンスタイムには、ソフトバンクの子会社が10億ドルも投資している。 かつてナチスソ連政治犯、特定民族、捕虜などを強制収容所に拘留していたが、現在の中国共産党は高度なテクノロジーを駆使し、徹底した「エスニック・クレンジング」(民族浄化)を試みている。 作家の清水ともみ氏は、ウイグル人の証人をもとにマンガでわかりやすく紹介しているので是非一度目を通していただきたい。 清水ともみ|note

強制労働

キャンプに収容されたウイグル人たちは、強制労働に従事させられている。今年3月に発表されたオーストラリア戦略政策研究所(ASPI)の報告書が衝撃的だった。同報告書によると、世界の名だたる大企業83社が、ウイグル人を強制労働させている中国企業および工場と関係があり、その工場が名だたるグローバル企業のサプライチェーンに組み込まれていることを明らかにした。83社にはアディダス、H&M、ラルフローレン、ZARAラコステ、トミー・ヒルフィガーなどのアパレル企業のほか、自動車メーカーのBMWメルセデス・ベンツゼネラル・モーターズがある。日本企業11社(日立、東芝ジャパンディスプレイユニクロ、シャープ、ソニーなど)も含まれている。収容施設を出所したウイグル人は工場で強制的に働かされ、各地の工場にも移送される。中国の国営メディアは、ウイグル人労働者には賃金が支払われていると主張するが、ASPIの研究チームによれば、労働者たちは隔離された宿舎に住み、帰宅は許されていない。勤務時間外には、中国語を学ばされたり、イデオロギーの再教育を受けさせられている。 前述したアパレル企業はその中でも最も強制労働から莫大な利益を得ているとされる。というのも、新疆ウイグル自治区の主要産業は良質な綿花で、世界生産の1/5がここで生産されている。アパレル業界としては、そのような良質な綿花を超ローコストで調達できるので、強制労働の実態を知りながら人権弾圧に平気で加担している。経団連の中西会長は未だに「中国は重要なマーケットで、今も非常に良い関係だ」と言及しているが、中西会長の言う「中国との良好な関係」とは、このような人権無視の強制労働により、安価に原料や部品を調達できることを指しているのだろうか。 少なくとも、上記で列挙した企業は今後一切、「企業倫理」や「企業の社会的責任」(CSR)を語る資格などない。契約関係のある企業の先にあるサプラーチェーンでウイグル人が強制的に働かされているので、企業としては把握しづらいという側面もあるだろうが、そもそも独裁国家の中国とビジネスをするということは、人権弾圧に間接的に加担していると同様である。本来、資本主義というのは倫理観や道徳観がつきものだが、グローバル化の中で無国籍企業と中国が協力することで、「倫理ある資本主義」は単なる「強欲主義」「拝金主義」に陥ってしまった。よって企業は人権弾圧には一切目を瞑り、事なかれ主義を貫こうとしている。ここで私が読者に意識してもらいたいことは、「われわれ消費者も加担している」ということである。「不買運動をしろ」と指図する気は毛頭ない。しかしこれらの企業に人権弾圧をやめさせるよう仕向けるには、われわれがウイグルにおける実態を知ることで、中国の人権侵害に対して声高に批判することが重要だ。

臓器ビジネス

f:id:kaitoy_conservative:20200831162831j:plain カシュガル空港内のグリーン通路 from Google Image Result for http://smgnet.org/wp-content/uploads/2018/10/201810-sapio-kuukou-225x300.jpg

中国では臓器移植の件数が多いことが有名だ。今やアメリカに次ぐ世界第2位の臓器移植大国で、金額も10分の1程度で適合臓器がたった数週間で見つかるという。中国の臓器ビジネスの市場規模は大きく、毎年10億ドルの利益を得ている。しかし「臓器供給源」は依然として不透明である。 通常、適合臓器を発見するには数年を要するが、中国でこれほどにまで迅速に適合臓器を発見できるのは明らかにおかしい。中国当局は「ドナー及び死刑囚の臓器を使用している」と主張しているが、実際には臓器移植件数と死刑囚の数に整合性がなく、臓器移植件数は明らかに死刑囚の数を上回っているのが実情である。2017年の大紀元時報の記事に興味深い内容があった。記事には、2016年に全国人体臓器提供イベントが開催され、ドナー登録者数は2016年3月20日時点で6万6000人で、臓器提供件数は6614件だが、ドナー及び死刑囚からの臓器で年間6万〜10万の移植手術を賄うには数が合わないことが指摘されている。 では年間6万件以上に及ぶ中国における臓器移植手術だが、臓器の供給源は一体どこからきているのかといえば、ウイグル人たちからだ。ウイグル人たちは強制的にドナー登録をさせられ、収容所に拘留されたウイグル人の臓器を勝手に抜き取っている。トゥール・ムハメッド日本ウイグル連盟会長は「現在移植される臓器の最大供給源が、このウイグル地域だと考えられる」としている。上の画像はウイグル人臓器狩りの傍証である。これは自治区内のカシュガル空港にある「グリーン通路」と呼ばれ、矢印の中には「特殊旅客、人体器官運輸通道」と簡体字アラビア文字で書いてある。この「人体器官」とはいうまでもなく「人間の臓器」のことで、ムハメッド氏によれば、カシュガル空港のこの専用通路からウイグル人の臓器が運び出されているという。 収容所内のウイグル人は生きたまま臓器を摘出されるが、まさにこれはウイグル人を家畜として扱い、強制収容所は「人間牧場」の役割を兼任していることになる。ウイグルにおける臓器狩りの実態を詳しく知りたい方は、「世界ウイグル会議」や「日本ウイグル協会」のホームページを一度訪ねてみて欲しい。

ウイグル人権法の成立

f:id:kaitoy_conservative:20200831160942j:plain (マルコ・ルビオ上院議員

新疆ウイグル自治区における強制収容所が明らかになって以降、2018年から米連邦議会が本格的に動き出し、民主党共和党から成る超党派の議員団がウイグル人を弾圧している陳全国新疆自治区書記ら複数の中国政府当局者に制裁を発動するよう追求し始めた。追求の中心人物は、共和党のマルコ・ルビオ上院議員である。特筆すべきことは、中国による一連の人権弾圧に関しては、普段は政治的スタンスが異なる共和党民主党超党派で協力している点だ。無論、民主党が中国に対して強硬的な姿勢を見せ始めたのは、トランプ共和党政権が誕生してからではあるが。 いずれにせよ、今年の5月27日、ついに米議会は「ウイグル人権法案」を可決し、6月17日にトランプ大統領の署名により成立した。同法を根拠に、米国防総省国務省の情報部局がそれぞれウイグルの現状を米議会に報告することで、人権弾圧の加担者リストを提出し、アメリカはウイグル人弾圧を行う当局者へのビザ発給停止や在米資産凍結などの経済制裁を行う。さらにウイグル人弾圧に使用されている監視カメラや顔認証システムに使用される部品や技術など、それらの先端技術が搭載された製品の対中禁輸を行う条項も含まれている。そして7月9日には早速、同法を根拠に陳全国氏を含む中国共産党幹部の4人に対して制裁を科した。 米中冷戦は単なる「貿易戦争」などではない。今やそのバトルフィールドは「人権」という人類の普遍的な価値観にまで及んでいるのだ。

ウイグル人のためにできること

概略的ではあるが、上記で紹介した新疆ウイグル自治区における惨状はほんの一部に過ぎない。だが、日本のメディアは相変わらずウイグル関連のことには言及しないどころか報道すらしない。ましてや日本で普段から「人権派」を自称する政治家、ジャーナリスト、活動家たちもウイグル人のために声を上げることはしない。この記事を読んでウイグル人強制収容所の存在を知った方も多いはずである。かつて連合軍によるナチスの収容所の解放により、初めてホロコーストの全容が世界に明らかとなったが、世界はそれまでホロコーストが実際に行われていることを信じていなかった。同様に、現在も多くの人々は、まさか21世紀の現代においてウイグル人強制収容所に拘留されているとは思ってもいないだろう。 しかし、微力ながらもわれわれ一般国民がウイグル人のためにできることはある。前述したように、消費者でもあるわれわれがウイグル人弾圧の実態を周知し、加担しているとされる企業を非難することだ。さらに中国との結びつきが強い親中派の政治家を選挙で落選させることも一つの手だ。基本的に親中派の政治家は与野党に限らず日本の政界に巣食っている。彼らを政界から一掃しない限り、日本の財界の中国傾斜も止められない。ほかにも、日本ウイグル協会の会員となって同協会の活動を支援する方法がある。関心のある方は是非下記のリンクから会員となって支援をお願いしたい。 ウイグル問題は日本と無関係ではない。

日本ウイグル協会 入会案内 →入会案内 | 日本ウイグル協会

参考文献

関岡英之(2019)『帝国陸軍 知られざる地政学戦略ー見果てぬ「防共回廊」』 祥伝社新書

大紀元時報,2020/05/26,「日本企業11社 中国強制労働に関与か」,〈https://www.epochtimes.jp/p/2020/05/57146.html

Forbes Japan,2020/03/22,「ウイグル人の強制労働に、多くの世界的企業が間接加担か」,〈https://forbesjapan.com/articles/detail/33101

人種差別と闘った我々の先人

今、アメリカでは黒人のジョージ・フロイド氏が白人の警察官に窒息死させられたことを契機に、全米各地で暴動にまで発展している。

この事件が黒人への人種差別にもとづくものだったかはいささか不明だが、アメリカ社会の闇が一気に武漢コロナウイルスによる鬱憤と相まって噴出したと言えるだろう。この事件についてはまた改めて書こうと思う。

そこで、今回は「我々の先人がいかに人種差別と闘ったか」を、「人種差別撤廃条項」「満洲国」「ユダヤ人」の観点から紹介したい。

 

 

国際連盟で「人種差別撤廃」を提起〉

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画像: 国際連盟委員会の様子

 

第一次世界大戦直後の1919年(大正八年)、パリで講和会議が開催された。アメリカ、イギリス、フランス、日本、イタリアの五大国が参加し、ここでヴェルサイユ条約が締結された。この会議ではさらに、アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領が第一次大戦の反省から世界平和実現のために、「国際連盟」の創設を提案したことは周知のことだろう。

だがここで日本は人類の歴史上、当時としては画期的な提案をする。その「提案」とは、国際連盟の規約に「人種差別の撤廃」を盛り込むことだった。人種平等の原則の確立なしでは、国際連盟が国際平和機構として十分にその能力を発揮できないという趣旨からだった。これ以前に、国際会議の場で、人種差別撤廃を明確に主張した国などない。当時はまだ、欧米列強がこぞって植民地で好き放題に搾取し、黒人の人権も全く擁護されていなかった時代である。とくに20世期前半は「黄禍論」(黄色人種が禍いを生む)がひたすら謳歌され、帝政ロシア最後の皇帝、ニコライ2世も日本人を「マカーキ」(猿)と呼んで侮っていた。風刺画上で描写される日本人も必ず「出っ歯とメガネ」であるように、偏見と差別丸出しである。

話を国際連盟創設に戻すと、日本は何度も協議を要請し、この条項の成立を目指した。投票の結果、賛成が51、反対が5、と圧倒的多数で可決かと思われた。しかし議長国のアメリカは、「全会一致」を強く主張し、結局は人類史上初の「人種差別撤廃条項」は盛り込まれることなく葬り去られた。当時のアメリカは、自国内の黒人に公民権を付与せず、人種隔離政策をとっていたことから、この提案に反対したとされる。これは国際連盟の理念がいかに欺瞞で、いかに白人至上主義の機関であることを宣言したに等しい。

だが、このことが日本の、いや世界の人類の歴史上に刻印される出来事であったことは紛れもない事実であった。

 

 

満洲国は「多民族共生」を体現したユートピア

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画像: 満洲国ポスター

 

満洲国」と聞けば、「侵略戦争」の典型とみなす人も多いかもしれない。とくに学校で教わる自虐史観を鵜呑みにしていれば尚更のことだろう。だが満洲国の様相は我々が学校で教わるそれとは全く異なる。

1932年(昭和7年)3月1日、満洲国は中華民国から分離され建国。もともと満洲は古来、漢民族が支配したことは一切なく、万里の長城よりも北は「化外の地」と見做していた。満洲女真族が支配する地域であり、その女真族が北京を征服して建てたのが清帝国である。その清朝孫文辛亥革命により崩壊し、中華民国臨時政府が南京に置かれた。だが中華民国政府の体制は盤石なものではなく、その支配は限定的で、地方軍閥が群雄割拠する状態であったため、満洲中華民国の実効支配下ではなかった。

いずれにせよ、満洲国の国家元首には、清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀が就任。そして、満洲国は満洲民族と漢民族、蒙古民族(モンゴル人)からなる「満洲人」(満人)による民族自決の原則に基づく国民国家とした。建国理念としては、「満洲人、漢人朝鮮人、蒙古人、日本人」による「五族協和」が掲げられ、多くのアジア人が共存共栄する「王道楽土」が満洲国の実態であった。満洲国建国時の人口は2928万人で、1942年には4424万人に増加。このうち日本人は70万〜80万人ほどで、多くの民族が暮らす多民族国家だったことが分かる。さらに、前出の「五族」以外にも、ロシア革命後に逃れてきたロシア人や、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人なども受け入れていた。後述するが、ユダヤ人は歴史的にも多くの迫害を受け、差別されてきた人種であるが、日本にはいわゆる「ユダヤ差別」の概念は皆無だった。

満洲国は人種の壁を超えた多民族・多文化国家を体現する、ある意味「ユートピア」であった。そこに人種差別の概念があればこのような国家は絶対に存在し得なかったであろう。

 

 

ユダヤ人を救った先人〉

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画像:樋口季一郎

 

世界的には未だにユダヤ人差別は根強い。それはユダヤ教ユダヤ陰謀論イスラエルに基づくものなど様々だ。

ユダヤ人への迫害で最も記憶に新しいのは、ナチスによって行われた「ホロコースト」だろう。

日本はこれにどう対処したのだろうか?

ユダヤ人を救った日本人で有名なのは 在リトアニア日本領事館に勤めていた杉原千畝だ。杉原千畝によるユダヤ人救出劇は多少誇張気味ではあるが、あまりにも有名なためここでは割愛する。

さて、日本は1936年(昭和11年)に「日独防共協定」、1940年(昭和15年)に「日独伊三国同盟」を締結し、ナチス・ドイツとの連携を図った。このナチスとの同盟は決定的な過ちでしかないが、日本はナチスによるユダヤ人迫害には手を貸さなかった。それどころか、当時の日本は「国策」としてユダヤ人を救った唯一の国であった。一方、他の欧米諸国は、ホロコーストに苦しむユダヤ人を助けるどころか、積極的に差別していたのである。あの自動車王ヘンリー・フォードも狂信的な反ユダヤ主義者で、ヒトラーの考えに同調し資金提供まで行っていた。

1938年(昭和13年)3月、リトアニアポーランドからシベリア鉄道経由で迫害から逃れたユダヤ人が、満洲国境に押し寄せていた。彼らはその先の上海のアメリカ租界を目指していた。しかし、ルート途中にある満洲国の外交部が旅券を発行しないため、足止めを余儀なくされていた。それを知った関東軍樋口季一郎少将(当時)はユダヤ人に食料や医療品を支給し、上海租界へ移動できるように便宜を図った。この「ヒグチルート」と呼ばれるルートを使って救われたユダヤ人は約4000~5000人にのぼるとされる。一部は日本にも移送され保護された。もともと彼らはビザを持たないため、本来なら満洲国にも入国できないが、彼らの入国を許可することはドイツとの同盟に影響を及ぼしかねないことだった。だが、樋口少将は以前からナチスによる不当なユダヤ人弾圧には断固許さないという姿勢で、ユダヤ人救出を断行。

案の定、日本政府はこの件に関してドイツ外務省から抗議を受けたが、東條英機は「当然なる人道上の配慮である」とし、その抗議をひと蹴りしたのである。また当時の板垣征四郎陸軍大臣も、「我国は八紘一宇(はっこういちう)の国である。ユダヤ人だからといって特定民族を差別することはできない」と述べた。ちなみにこの時、樋口少将から依頼され列車を手配し、ユダヤ人を移送したのは、満鉄総裁の松岡洋介でもあった。

同年12月には、内閣総理大臣陸軍大臣海軍大臣外務大臣、大蔵大臣が集う最高位の国策検討機関「五相会議」で、「ユダヤ人対策綱領」が決定されている。日本が長年主張してきた「人種平等の精神」に基づいて、ユダヤ人を平等に扱うことを「国策」として決めたのである。さらにこの綱領をもとに、迫害から逃れたユダヤ人を満洲国に移住させる計画(河豚計画)も政府の方針として定められた。

 

 

今回のコラムでは主に三つの先例から、先人がどのようにして「人種差別」と闘ってきたかを紹介した。当時の日本はアジア初、有色人種で初の近代国家でもあった。日露戦争では白人帝政のロシアに勝利し、欧米列強の植民地下にあった有色人種に勇気と希望を与えた。そして我々の先人は有色人種であるが故に、人種差別に堂々と抗議し、人種差別を撲滅する責務を全うしようとしていたのである。

今一度、歴史の中に埋れた数々の出来事を掘り起こす価値があるのではなかろうか。